愛される歓びを
あなたは愛されている。
それって本当?
そう思うならとことんまで試してみていいよ。
とことん疑ってみなよ。
どうせ愛されるしかないんだから。
どんなに、すねてこころが歪んで、苦しくて死にたくなったって…
ふと見上げればたくさんの星と光が輝いていた。
あぁ、なんで私は生まれてしまったのだろう。
人に、親に、迷惑をかけ、不幸せにするだけなのに。
そんな風に思って生きてきた。
けれど、ふと気づくと、悪いことは殆ど覚えていない。
繰り返し思い出す刹那的な場面ももちろんある。
だけれど身内の死に際に置かれてみて思うのは、
あぁ、この人愛されていたなぁと、。
認知症で昼も夜もわからない。
そして、酸素も吸入して。熱発しており絶食が、続く。痰も満足に出せず、褥そうもある。肺癌の末期で余命は幾ばくもない。
そんなときでも私を気遣う。
いつ死んでもおかしくない。毎年夏になると訪れる食欲減退。
毎年毎年覚悟はさせられてきた。
好きだったタバコも酒も辞め、畑もできず、週6日デイサービスに通う。
入院した今は状況がわからない故に毎日点滴を何度も自己抜針してしまう。げそげそだから、針を刺す血管を探されるのでさえ痛がる。いっそなにもわからない方が楽なんだろうなぁ。そう思ってみたりする。
「老衰」
こんなにも難しい死に方があるだろうか。
もう、枯らしてあげてほしい。
そう思う私の心の裏には、
「私がつらそうな姿を見ていたくない」
という気持ちが隠されている。
あなたの気持ちはあなたにしかわからないのに。
覚悟は出来ても、霊の世界を知っていたとしても、
それ=実体がなくなる事は辛く思う。
それでいい。愛してくれていたその姿、肉体を喪うことの辛さを感じたっていいのだ。
だってその肉体に何度も抱き締められ、その手に救われたのだから。
本当になくなったときはやることありすぎて泣けなさそうだから今泣いておく。
ありがとう。私も愛しているよ。
沢山の愛を。沢山の笑顔をありがとう。
大好きだよ。
写真はじいちゃんのよく行っていた神社へお参りにいってきた昨日のもの。
どんなに枝分かれしたって繋がっているよ。
家族だからさ。
愛される歓びを今一度思いだそう。
生きている限りこの肉体は私のもの。
夜が明けて、私がいなくなったとしても、その魂は、生きた証は残るから。
ただ今だけを感じればいい。
ありがとう。おじいちゃん。