誰かは誰かの栄養素
ふーと、寝てる間に来た言葉
誰かは誰かの栄養素
本当にそうだと思う。
誰か思い付く人がいないにしても、
道で歩いていて、「おはよう!」って人に声をかけられたらそれだけで元気になる。
引きこもっていても、SNSやら何やら人の作った物を見ていて栄養をもらう
意識が無くなって生かされていると一般的に言われる人であっても、皮膚の接触や息づかいから介助者の栄養を受けとることができる
要は、感じるかどうか。
身近にあるものほど気づきにくくて尊い。
一人でも生きていける、なんて思った時期もあるけど、最近は一人では生きていることが成り立たないな。
それにつまんない( *´艸)と思う。
自分が何を大切に感じて生きていくか.
それも改めていく3月。