私の存在そのものが愛
私の存在そのものが愛、が信じられない私へ。
先日のブログ
http://taiwasemikatu.hatenablog.com/entry/2018/07/27/054233
を読んだ、まりこさんから
あなたがここに存在する。
それがすでに愛なんだ。
愛される、愛されないの前に、
絵美さんが、愛。
私がここに存在する。それ自体が愛。
頭では知っている。ふかーいところでも知っているはずだ。
しかし
《愛受け取り恐怖症》をずっとやってきた。
好きだよ、愛している。の言葉をくれた人もいた。
ただ、愛されることが怖すぎて、
相手を試したり、カラダを使って一時的に愛される事だけを求めてみたり、相手を疑ってみたり。
受け取らない努力をしまくっていた。
今の旦那と結婚する時も、直前に怖くなって浮気してみたり、試しまくった。
そんな私が
もし、「本当に私の存在そのものが愛」だったら…を考えてみた
- そのままが愛であるなら、何もしなくても良い
- そのままが愛であるなら、生きているだけで社会貢献
- そのままが愛であるなら、トップを極めようとしなくていい
- そのままが愛であるなら、常に欠乏から動かなくて良い
- そのままが愛であるなら、欲しいものは欲しいと言えばいい
- そのままが愛であるなら、思っていることを伝えてもいい
- そのままが愛であるなら、常に笑顔でいてもいい
- そのままが愛であるなら、痛いところや痒いところが無くてもいい
- そのままが愛であるなら、無理をしなくても良い
- そのままが愛であるなら、私が私であるだけでいい
- そのままが愛であるなら、常に変化していていい
- そのままが愛であるなら、常に満たされていて、それを与えてもいい
- そのままが愛であるなら、幸せになってもいい
- そのままが愛であるなら、美しい姿そのものでいい
- そのままが愛であるなら、生きていることが辛いと思わなくてもいい
- そのままが愛であるなら、人間的には愛のなかで生まれたと信じてもいい
- そのままが愛であるなら、産まれたことが奇跡と信じてもいい
- そのままが愛であるなら、表面張力を保たなくてもいい
- そのままが愛であるなら、生き甲斐という言葉を捨ててもいい
- そのままが愛であるなら、全ての私をほめてあげてもいい
- そのままが愛であるなら、全ての私を包み込んであげてもいい
- そのままが愛であるなら、食べ物で悪いものは無くてもいい
- そのままが愛であるなら、いかされていると心から感じてもいい
- そのままが愛であるなら、大学の先生、医者、作家、芸術家、アーティストになりたかった自分を認めて、今からはじめてもいい
- そのままが愛であるなら、壮絶な体験をしていないからと、自分を卑下しなくてもいい
ただ、そこにいてもいいし、チャネラーとして生きていたいと願ってもいい、専業主婦に憧れてもいいし、子供の寝顔をずっと見ていてもいい。森のなかで生きていてもいいし、海の見えるところで生きていてもいい。子供のように、抱き締められてもいいし、この世にタブーなんかないんだって認めてもいい。道路を裸足で歩いてもいいし、ただからだを動かしていてもいい。世界中の人に必要とされてもいいし、お抱え霊能者になってもいい。ただ眠っている喜びを感じ、カラダがあることに日々驚き、食べられる喜びを知り、毎瞬新しい私と出会ってもいい。私が私であること、それ自体が愛なんだということが今は実感として無くてもいい。
実際に存在自体が愛なんだから。
夢を語るのは恥ずかしい。そんな思い込みさえも無くなるように自分の思い込みと概念を知らされる今。
幼い頃から実家の自営業を見てきて、夢より現実。自分より他人や納期を守る大切さを学んできた。仕事は楽しい。お金儲けは大変。という概念でやってきた。
だから。手に職をつけて、人様の役に立つ仕事を選んだんだと思う。
結局いまでも
誰もが安らげる場所、いつでも来られる避難場所
が作りたいのは変わらない。
生きている。生かされている。それこそが愛。
忘れかけていた未来を思い出そうとしている。
いまはまだ纏まらない。そして。眠くなってきた。
ありがとうございました。